セミコロンの向こう

ピリオドじゃありません。どっか別のところ行っちゃってます。本人もどこに行くかさっぱり分かってません。

2017-10

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箱根駅伝

親戚の家を回っていたのだが、どこに行っても箱根駅伝を見ていた。
なんだか、日本の正月の伝統みたいになっているらしいが、正直僕はさっぱり興味が無いし、どこが1位になろうがあまり関係無い。
ただ、少しこれについて感じたことを2,3言ってみる。
ほとんど無知識な状態で言うんで、批判はあると思いますがコメ欄に残してってくだされぃ。

毎年毎年テレビでちょこっと見るが、出場している大学もさることながら上位校がほぼ定着しているような感じがある。
もちろん、その駅伝にかける練習時間とか設備投資なんかを、他の大学よりも充実させているということもあるのかもしれないが、その理由の大半は「推薦」という名の引き抜きだろうと予想される。
それが良い悪いとか言うんじゃなくて、元々強い選手を獲得してるんだから、いい成績を取って当たり前であって、それを競うのはなんだかなぁって気がする。
個人競技なら良いのかもしれないけれど、大学の「名前」を売るために利用している面があるんじゃないかと思うと、そんなモンなのかなって思ってしまう。
野球とかでも同じなのだが、強い選手を取れるだけ取って、それで負けてるのはどうなんだ?って気がする(同じことが巨人にも言える)。
まあ、巨人は勝ってナンボだから、そういう点では良いのかもしれないが、高校野球とか大学対抗の駅伝で、そこまで闘志むき出しにして他を蹴落とそうとするところが面白くない。気がする。
ああでも、強い選手が一人だけ頑張っても浮かばれないのかもしれないなぁ。
予選突破しなかったら元も子も無いし…。
テレビに映れば、「区間賞」とかもあるみたいだから、その持てる力を認めてもらえる機会があるんだろうけど。
ていうか大学側がそういう「推薦」とか使って選手を獲得するってことは、何をしに大学に来させてるのかよく分からなくならね?
でも大学選手権で優勝した後にプロに進む人もいるみたいだし…。
選手が大学を利用するのと、大学が選手を利用するので、僕の気持ちの整理がついてないだけかもしんないなぁ。

でも、やっぱり「強豪」に「弱小」が挑むとき、判官びいきじゃないけど、応援したくなるのは「弱小」だよなぁ。
受験とか就職活動にも似てる気がするんだが。
個人と団体っていう違いはあるんだけれども。

更新@実家

28日に実家(静岡)に戻って以来、インターネットというより、家にあんまりいない日が多かったので更新さっぱり止まってました…。
飲み会行ったりとか、サッカー見に行ったりとかしてましたよっと。
そこで思ったことをちょこちょこと。

やっぱ普段話してないような人たちと話すのは良いね。
普段話してる人たちが良くないとかっていうのじゃなくて、やっぱり近くにいるような存在だから、考え方とかも次第に似てきちゃうところがある。
全く相容れないような考え持ってるんだったら、普段からそんなに話とかしないわけで。
だから、年末に帰ってきていろいろな人(理系単科大学生以外)と喋るのはかなり刺激的だった。
そこで思ったことは、やっぱり視野狭いな、ということ。
僕の知らない世界が、まだまだたくさんある。
「知らぬが仏」でもいいかもしれないけれど、そのことを知っていないのと知っているので、社会に出たときに差がつくのではないかと思う僕は、これからも様々なことに挑戦的で行こうと思いたい。

こころ

通算で3回しか読んだことが無いのだけれど、漱石先生の『こころ』についてちょこっと。

僕自身最初にこの作品を読んだのが大学の1年のときで、友達もなかなか出来ずにいて、いわゆる5月病チックな時にこれを読んだからさあ大変。
ますます人間不信が加速した。
やっぱ人間てこういう生き物なのかなぁ…なんて思い、ニーチェをちょこっとかじったのもあの頃だった。
内容に付いて色々議論を深めるのは文学部の連中に任せるとして、この作品に対する僕の姿勢を書いてみようと思う。

人間社会において、この作品に出てくるような嫉妬とか欲望であるとかの感情は、有史以来殆どどの時代においてもその時代の流れを作ってきたのではないかと思う。
それが悪いとかではなく、人間である以上仕方ない。
それがイヤだったら、やはり無人島で生活するしか道は無いんじゃなかろうか?
社会と上手く付き合っていくということは、隣の人との利害を上手く調整するといったことが不可欠だと思う。
今のアメリカなんて、欲望を象徴してるようなもんだと思うし、韓国とか中国なんかは、色々な見方は出来るかもしれないが、日本に嫉妬している部分もあるはず。
「人類が全員幸せでありますように」なんていうのはやっぱり理想郷だろうし、動物にも権利があるなんて認めだしたら、人類は全員ベジタリアンにならざるを得ないわけで。
それ自体がすでに幸せじゃないと感じる人もいるだろうから、その辺りをやっぱり調整していかなくては難しい。
この作品では、このところを直に突いている。
そういった意味で、彼が「文豪」たる所以なのだろうし、現在でさえ多くの研究対象になっていたりするのだろう。

読んでいない人は、是非一読することをお勧めいたします。
そのときの精神状態によって、感じ方が大きく違うな、というのも一つ思いました。

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「小泉劇場」を振り返って

ちょっと遅れてR25を入手。
今年の内政、外交、憲法に付いて総括がなされていた。
総選挙のことは、このブログで全く触れなかったので、今更ながらちょこっと見てみようと。
ついでに外交、憲法のことに付いてもちょこっと。

内政。
9・11の総選挙では、小泉総理率いる自民党が圧勝に終わったのは誰の目にも明らかだと思う。
あまりニュースを見ていない僕がこのことに付いて色々口出しするのはどうかと思うけれど、やっぱり色々なところで言われている通り、マスコミが自民党のことを毎日のように取り上げて報道したことが最大の宣伝になったのではないか。
その取り上げられ方は、もちろん皆さんもご存知の通り「刺客を送り込んだ」だの「小泉劇場」だの言われてますが、テレビの宣伝効果は抜群だったってのが、今回の選挙で再確認できたことなんでしょうね。
しかも、主婦が見ているようなワイドショーでも毎日のようにひっきりなしに連日連夜報道している有様。
一生懸命こき下ろしているようでも、マスコミの方々は自民党の広告塔になっちゃっていたんですね!

それにしても、小泉首相のパフォーマンスと言おうか、演説力と言おうか、それには舌を巻くばかりだと思った。
「マスコミの頭は相当悪い」って事を、ちゃんと理解してるんですからねぇ。
インパクトのある事をやれば(それがマスコミウケの悪いことならなおさら)、どういう形であれメディアに取り上げられ、名前を売る事が出来る。
それが批判的なものであればあるほど、それを見る人には印象が強く残るのだから、いくら自民党以外に票を入れさせようとも、他が霞んでしまうのは自明の理。
ある友達も言っていたのだけれど、批判があればあるほど注目を集めるというのは真理だと思った。
その結果として、あの圧勝があるのだと思う。
後付けで色々分析するのはたやすい事だ。
それを先に読んで、どうしたら票が入るかをいかにして見極めるかが選挙戦の行方なのだと思った。どうでも良いけど選挙には行かなかったな。


外交。
これはもう過去のエントリーを見てください。
特定アジアをどうするか、お上も色々苦労しているんでしょうな。


憲法。
自民党が必死になって変えようとしているのは9条なんでしょうね。
さすがにもう「解釈」だけでは追いつかなくなっているところがあるのは十分把握しているんでしょうね。
それにも拘らず、アメリカに媚びを売る姿勢はあまり賛成できませんが。
こうまでアメリカの言いなりになっちゃってるんなら、もうアメリカの51番目の州になった方が良いんじゃないかと思うんですが。
とにもかくにも、自衛隊を「自衛軍」に改めようとしている。
公明党がどこまで食らいついてこれを阻止できるかどうかって感じになるんでしょうか。
自民党があれだけの議席を確保している以上、残すところ国民がどう判断するか、ってことになってくるでしょうな。
国民も、マスコミに踊らされるだけじゃなくて、改憲する事によるメリット、デメリットを十分把握した上での判断を下して欲しいと思う。
と、いうよりマスコミがその責任を負っているんだけどなぁ。
デメリットばっかり知らせてんじゃないよ、と。
そういった点ではあんまり既存メディアで情報収集したときには、その「逆」の情報をインターネットで調べてみる、ってのも大いにアリだと思う。
投票に行くのが「高齢者」とか「主婦層」ばかりだと思われた今、絶対にマスコミはそういったターゲットに「反改憲」といったメッセージをマスコミが垂れ流すことは、容易に予想できるので注意が必要だと思う。
もちろん、様々な情報を基に「改憲すべきではない」という意見に達した1票ならば別なのだけれど。
各個人が「相対的思考」を持ってくれると良いのだけれど…。
うん、この「相対的思考」に付いては今度また書きます。

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大学教師

今日、ちょっとした用事で先生の研究室まで足を運んだ。
お願い事があって行ったのだけれど。
大学になると職員室じゃなくて「研究室」になるからダメだね。
しかも1人につき1部屋なわけ。
扉も中が見えないような鉄の扉だから余計に威圧的なのね。
普段から言いたいことを割とズバズバ言う先生なので、扉の前で躊躇していたのだが、そのまま誰もいない廊下でうろちょろしていると明らかに挙動不審だと思ったため、意を決して扉をノックした。

・・・ものすごく、良い人でした。
僕は大学教授って「頭でっかちで研究しか頭に無い」なんて偏見を持ってましたが(ウチの大学に限る)、それを見事に打破してくれました。
というか、その先生が一般教養科目の先生だから、ということも関係あるのかもしれないけれど。

考えてみると、僕は偏見に基づいて行動していることが多い気がする。
今回のこの事でもそうだけれど、ノックをするまでにどれだけの時間を要したことかw
これは、大学教師なんかに限った話じゃないなと思ってみたり。
初対面の人と打ち解けるのが苦手なんだけれど、こっちがそう思っている限り、向こうが勝手に僕に対して何らかのアクションをしてきてくれる可能性は、限りなく低いと思う。
同じように、言えることを思い切り言えるようにもなりたい。
だれかれ構わず暴言を吐くとか言う意味ではなく、意見が対立した時にそれに立ち向かう勇気というか何と言うか…。
持てる知識を最大限に発揮して、相手の言ってることに対して自分のそれが違うならば、自信を持って言いたい。
でも、僕はそこで一歩引いちゃう癖があるんだよなぁ。

良くない。
今年はもう終わっちゃうから、来年は「当たってみる」ってことを学びたい。
そこで砕けたって良い。にんげんだもの。
間違いを恥じるのではなく、間違いを正さなかったことを恥じるべきで、それが間違いだと気付いたときの自分は、胸を張っていてもいい。
そこで、自分が間違いだと認められる勇気も必要だと思うのだけれど。
色んな経験が必要だなぁ、とは思うけれど、やっぱり何にでも当たってみないとね。

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