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セミコロンの向こう

ピリオドじゃありません。どっか別のところ行っちゃってます。本人もどこに行くかさっぱり分かってません。

2018-12

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客観

客観
「主観の作用とは独立に存在すると考えられたもの。客体。」(『広辞苑 第五版』岩波書店より)


果たして数字は「客観的価値」であると言えるか?
数字というか、自然科学全般の学問体系としてそれは「客観的」であるといえるのかどうか。
数学を煮詰めていくと、結局のところ「哲学」の領域に踏み込むのは、こういった問いが背景にあるからなんじゃないかと思う。
直接的に語られることは無いかもしれないけれど。

ゲーデルだったと思うけれど、この問いに一石を投じる回答を出した。
「自己矛盾性」の発見とでも言おうか、「自己言及性」とでも言おうか。
良く知られている自己矛盾性を示すものとして「『クレタ人は嘘つきである』とクレタ人が言った。」という一文がある。
この解説はあちこちのサイトや文献でなされているので、ここでは割愛させてもらうけれど、これと同じ矛盾が数学(に限らないが)にも生じることを証明したのだ。
「人間の介入が無い」と仮定した数学の世界においても、「客観的」に真偽の判断が出来ないことが存在することが証明されてしまった以上、「数学」の正しさが証明できないことも証明された訳だ。
宇宙の真理の如く扱われてきた数学も、正しいかどうかは証明できない。

ところで、数学は人間がいなくても存在し得る存在か?(主観に依存しないか)という問いには、僕はやはりNoだと思う。
「これが宇宙の真理だ!」なんて言って小難しい方程式を羅列したところで、それが妥当だということが確認できても、「絶対に」正しいということは証明しようが無いのだから。
人間によって作られた「矛盾の無い理論体系のなか」では、自己矛盾する理論が出てくるのかもしれないけれど、人間(主観)が介入しないところでは、自己言及をしたとしても矛盾無く正しい体系があるのかもしれない。
それは「分からない」ことだと思うし、あったとしても気付かなかったり、人間の介入が及ばないのではないか。
なぜなら、それが上で示した「主観」の定義だと思うからだ。

相対的に見て、「こっちの方が主観の介入が少なそうだ」という意味で「客観的」だと判断することはあるかもしれないが、「それって客観的じゃない」などという発言は、さも自分がそこに至ったような口ぶりで、僕はあまり感心しない。
そういった人は、最初から他人の意見なぞ聞く耳は持っていない。
主観というのは、何も自分だけを指すのではないと思う。
敢えて定義するのなら、「神以外の全ての生命体」といったところだろうか。
要は、まさに「神のみぞ知る」という言葉が示す通りなのだと思うのだが。
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