セミコロンの向こう

ピリオドじゃありません。どっか別のところ行っちゃってます。本人もどこに行くかさっぱり分かってません。

2017-10

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こころ

通算で3回しか読んだことが無いのだけれど、漱石先生の『こころ』についてちょこっと。

僕自身最初にこの作品を読んだのが大学の1年のときで、友達もなかなか出来ずにいて、いわゆる5月病チックな時にこれを読んだからさあ大変。
ますます人間不信が加速した。
やっぱ人間てこういう生き物なのかなぁ…なんて思い、ニーチェをちょこっとかじったのもあの頃だった。
内容に付いて色々議論を深めるのは文学部の連中に任せるとして、この作品に対する僕の姿勢を書いてみようと思う。

人間社会において、この作品に出てくるような嫉妬とか欲望であるとかの感情は、有史以来殆どどの時代においてもその時代の流れを作ってきたのではないかと思う。
それが悪いとかではなく、人間である以上仕方ない。
それがイヤだったら、やはり無人島で生活するしか道は無いんじゃなかろうか?
社会と上手く付き合っていくということは、隣の人との利害を上手く調整するといったことが不可欠だと思う。
今のアメリカなんて、欲望を象徴してるようなもんだと思うし、韓国とか中国なんかは、色々な見方は出来るかもしれないが、日本に嫉妬している部分もあるはず。
「人類が全員幸せでありますように」なんていうのはやっぱり理想郷だろうし、動物にも権利があるなんて認めだしたら、人類は全員ベジタリアンにならざるを得ないわけで。
それ自体がすでに幸せじゃないと感じる人もいるだろうから、その辺りをやっぱり調整していかなくては難しい。
この作品では、このところを直に突いている。
そういった意味で、彼が「文豪」たる所以なのだろうし、現在でさえ多くの研究対象になっていたりするのだろう。

読んでいない人は、是非一読することをお勧めいたします。
そのときの精神状態によって、感じ方が大きく違うな、というのも一つ思いました。

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大学教師

今日、ちょっとした用事で先生の研究室まで足を運んだ。
お願い事があって行ったのだけれど。
大学になると職員室じゃなくて「研究室」になるからダメだね。
しかも1人につき1部屋なわけ。
扉も中が見えないような鉄の扉だから余計に威圧的なのね。
普段から言いたいことを割とズバズバ言う先生なので、扉の前で躊躇していたのだが、そのまま誰もいない廊下でうろちょろしていると明らかに挙動不審だと思ったため、意を決して扉をノックした。

・・・ものすごく、良い人でした。
僕は大学教授って「頭でっかちで研究しか頭に無い」なんて偏見を持ってましたが(ウチの大学に限る)、それを見事に打破してくれました。
というか、その先生が一般教養科目の先生だから、ということも関係あるのかもしれないけれど。

考えてみると、僕は偏見に基づいて行動していることが多い気がする。
今回のこの事でもそうだけれど、ノックをするまでにどれだけの時間を要したことかw
これは、大学教師なんかに限った話じゃないなと思ってみたり。
初対面の人と打ち解けるのが苦手なんだけれど、こっちがそう思っている限り、向こうが勝手に僕に対して何らかのアクションをしてきてくれる可能性は、限りなく低いと思う。
同じように、言えることを思い切り言えるようにもなりたい。
だれかれ構わず暴言を吐くとか言う意味ではなく、意見が対立した時にそれに立ち向かう勇気というか何と言うか…。
持てる知識を最大限に発揮して、相手の言ってることに対して自分のそれが違うならば、自信を持って言いたい。
でも、僕はそこで一歩引いちゃう癖があるんだよなぁ。

良くない。
今年はもう終わっちゃうから、来年は「当たってみる」ってことを学びたい。
そこで砕けたって良い。にんげんだもの。
間違いを恥じるのではなく、間違いを正さなかったことを恥じるべきで、それが間違いだと気付いたときの自分は、胸を張っていてもいい。
そこで、自分が間違いだと認められる勇気も必要だと思うのだけれど。
色んな経験が必要だなぁ、とは思うけれど、やっぱり何にでも当たってみないとね。

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